熊野古道 中辺路 2006

灼熱の熊野古道・中辺路 小広峠~熊野本宮大社 in 2006 その⑥

復刻シリーズ「中辺路灼熱無限地獄 in 2006」 今回で終了。

『 ・・・ 炎天下、息も絶えだえの中辺路行レポートも今日でオシマイ。

 暑さに喘いでから、もう1週間たったのやね。

 200685_139                                                    北さんとワシは、中辺路歩きの最終的な一区切り、「発心門王子」についたのだ。

 右側の写真は盛夏の昼下がり、照り返しで道が白くヒカッてるでしょ。その道を2人はヨロヨロと進んだのだが。

 発心門王子に着いた頃から、北さんの具合がおかしい。

 「この後は、アスファルトの道だけやろ。バスで行こ」

                                                     200685_146 あきませんって。最後まで歩きとおしての古道ウォーク(注・当時のワシの写真だけれども、首にけっこう余分な脂肪がついているけど。今はないのだ)。

 北さんのヘロヘロ度は歩を進める毎に強まっていくのであった。

 これは。ひょっとして。「ダル」に憑かれましたな。北さん。

 「ダル」は熊野から吉野、高野の山中によく現れ、旅人にとり憑いて飢えと渇きで一歩も歩けなくしてしまう、山中で行き倒れた者たちの亡霊であるという。南方熊楠もダルに憑かれて九死に一生を得た経験を書き残しているのだ。

写真は、熊野本宮大社のみやげ物屋の店先で、「ダル」に憑かれたままの状態の北さん。よーく見ると、「ダル」が周囲を取り囲んでいるのが分かる(注・あまりに北さんが悲惨な状態なので、今回は画像のアップを中止いたしました)。

 200685_168                                                     ということで。「本宮大社に着いたら、もうで餅を買ってくること」というかみさんの言いつけをよく守った後、現地を後にしたのであった。

 また行きましょうね。北さん。』

・・・ 1年たったけど、北兄ィさんは「出かけましょう」と言うてくれませんなぁ。おかしいなぁ。

  

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灼熱の熊野古道・中辺路 小広峠~熊野本宮大社 in 2006 その⑤

 復刻シリーズ「中辺路灼熱無限地獄 in 2006」その5弾です。 

『 ・・・ すでにコースも後半に突入。

 しばらく進むと、民家の跡をいくつも見ることが出来る。戦後まもなく廃村になったらしいが、それでも山仕事で用いたのであろう赤錆びたノコギリや、おかぁちゃんがお粥をこさえた台所の痕跡がそこここにある。

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 名所・史跡といったものよりも、ワシはこうした先人たちの「生活の痕跡」といったものに惹かれ、ある種の懐かしさを感じる。古道の石畳の石クレ一つひとつもそうなのだが、こうした民家の石段一つひとつも、当時の人々が手作業で黙々と運び、積み重ねていったのだ。そうした無名の人々による日々の労働を、ワシも同じように繰り返しているのだなあという「生きていくということの連続性」といったものに思いを巡らしたりも出来るよ。古道を歩いていると。

 しかし、ワシが日々の生業にしている看護という仕事は何物も残さず、消費されていくのだなあと思ったりもする。未来に石クレひとつ残すことも出来ないままに。

 「よくもまぁ、こんなへんぴなトコロに住めたものだ」

 というのは、現代人の視点によるものであろう。熊野の木材、木炭は新宮を経て遠く関東にまで運ばれたというし、生活に必要な物品は山の恵みとして手に入ったのではなかろうか。

 戦後に入り、木炭の需要の激減とともに住民の方々は山を捨てたというのが実情だったのだろう。仕事の時、なくてはならなかった道具であったに違いないのに、それを残してこの地を離れていったという当時の状況、すなわち林業の衰退を、写真に写っている赤さびたノコギリは如実に表現していると思うのだが、どうだろうか。

 200685_123                                                      そうしたことを考えつつ、音無川の清流に沿って2人はよちよちと進むのであったよ。』

 

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灼熱の熊野古道・中辺路 小広峠~熊野本宮大社 in 2006 その④ 

復刻シリーズ「中辺路灼熱無限地獄in 2006 」第4弾。読んでね。

『 ・・・ まぁ、そういうことで。あの日、北さんとワシはおぎん地蔵を過ぎてさらに前進を続けたのであった。

 「湯川王子」という王子社跡に到着。ここは、さっきのおぎんさんが豊之丞さんに嫁ぐため目指した場所。また、全国津々浦々におられる「湯川さん」発祥の地。湯川一族は岩上峠を跋扈する山賊たちを成敗した功績により、御坊市の湯川地区一帯を拝領したという。また、この王子周辺には大規模な石垣で区切られた屋敷跡があり、一族の隆盛ぶりが偲ばれるのであるよ。ツワモノどもが夢のあとやね。

 海南市には全国の「鈴木さん」のルーツ、「鈴木屋敷」もあるし。

 200685_103_2                                                       でだ。その「湯川王子」、長野県などに土砂災害が発生したのと同時期、暴風で後ろの大木がまともに倒れてきて無残なありさま。王子社そのものを囲っている外枠が全壊し、本体にも屋根に穴が開くなどの被害が見られた。薩摩示現流の剣士にまともに一撃くらわされた感じやね。津本陽氏のエッセイによれば、この薩摩示現流という剣術、攻撃のみで防御なし、大上段から切り下ろされて刀の切っ先がヘソまで達したという記録も残されているという。キャシャーンのチョップみたいなものか。

200685_108 ふたたびつづら折れのキツーイ坂道をゼイゼイと登りきると三越峠の頂上。

200685_109 ここで「朝ズバッ」パンのお昼(ややこしいが)。

 大休止の後、ついに2人は「奥熊野」へと踏み込むのであった。』

 ・・・ しかし、この「朝ズバッ・パン」というのがコンビニの店頭に並んでいたのも、ほんのわずかな間だったなぁ。定番にはならなかったのね。

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灼熱の熊野古道・中辺路 小広峠~熊野本宮大社 in 2006 その③ 

 復刻シリーズ「中辺路灼熱無間地獄in2006」の第3弾。 

『 ・・・ それでもまあ、岩上峠の頂上でワシらは一息入れたのである。汗ビッショリで、とてもじゃないけどここには載せられないようなハズカシイ写真を北さんに撮ってもらったりしながら。

 小休止の後は、当たり前だけど、峠を下っていくのだ。その道中でちょっと記念撮影。ずっと昔からこの場所に鎮座しているに違いない木の根っこ。こいつは、JR西日本が作った「聖なる森・熊野古道を歩く」というハイキング・マップに紹介されている。

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 近くで撮ると分かりづらいけど、引いて撮るとホレこの通り。名前を「がま根」という。口元を「むーっ」とひん曲げて前足を踏ん張っているガマガエルにそっくり。あと、ゴリラ岩というのもあるとのこと(そやけど、この写真を見る限り、まだまだ腹出てるね。今現在の方がエエ身体してるのよ。ワシ)。

 前回はがけ崩れで通行止めになっていて、退屈な林道歩きを強いられた場所に踏み込む。復旧箇所の様子から、かなり大規模な土砂崩れであったことが分かる。単独行で歩いていてこんなところで土砂崩れに巻き込まれたらオシマイや。

 200685_083 この場所から少し進むと「おぎん地蔵」というお地蔵様がお祭りしてある。

詳しいことは写真の説明文を参照していただきたいが、おぎんさんは、本当にあと少し行けば恋人に会えるという場所で命を絶たれてしまったのだ。距離にしたら、2~3キロというところか。結婚相手を奪われた湯川豊之丞サンは姉の助太刀を得て、仇の山賊2人を見事成敗したのだという。しかし、姉さんもゴッツイな。やることが。坂本竜馬のお姉さんみたいな人やったんかな。

 200685_081_2 説明文とは別に、この地蔵も豊之丞が建立したとする説があるらしいけど、「おぎんに似せて作ってくれ」と石工に命じたので、写真のようにやさしい風貌の地蔵様が出来上がったのやとワシは感じたのだよ。

 しかし、山賊やら追い剥ぎやら狼やらなにやらが跋扈していた当時、熊野詣を行う旅人たちは命がけだったのだ。

 北さんとワシも、ある意味命がけだったけと゜。今回。暑さのせいで。

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灼熱の熊野古道・中辺路 小広峠~熊野本宮大社 in 2006 その②

 はい。復刻シリーズの「中辺路灼熱無間地獄in2006」の続きです。だいたい、毎日1回はアップしていきたいと考えています。次の段落からの、『』の中が当時の文章ね。

 どうぞ。

 『・・・ 2006年8月5日、1020(ひとまるふたまる)。北さんとワシは熊野本宮大社に向けて一歩を踏み出したのだ。

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 北さんが歩いている先を右に折れると本宮の方向に進んでいくことが出来る。

前回の古道歩きの時は、左に曲がって近露方面に行かねばならないのに、反対方向に曲がってしまい、けっこうな距離を歩いた後でそのことに気づき、ワシらにに泣きついてたオヤジもいたなぁ。 

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道端にある道標には、「41」とある。熊野本宮大社手前のそれは「75」。500メートル毎にコースに沿って設置されているから、ここを基点に17キロ歩くということや。

 

古代エジプトでは生命復活の象徴としてあがめられたという「フンころがし」を接写モードで撮影したりするまでは、よかったのだ。気分は。

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 しかし、恐るべし8月。筋肉運動によってどんどん熱も生み出されてくるし。あっという間に汗まみれ。アエギながら進んでいく。

 

200685_047 草鞋峠の下りを女坂、岩上峠の上りを男坂というそうな。そして、その谷間にある茶屋だから「仲人茶屋」。江戸時代にはすでにそう呼ばれた茶屋がこの橋を渡ったトコロにあったらしい。いかにも風流なネーミングなのだが、一方でこのあたりは写真にあるように中辺路一の難所であったという。

 中辺路一ということは、熊野道で最大の難所ということと同じじゃないのん?  つづら折れの坂道を一歩一歩登っていくのだけれど、これはキツイ。アタマがボーッとしてくる。

先行する北さんを撮った写真もピンボケ気味。手ぶれ防止機能が追いつかないほどボーッとしてたのね。一方、長い年月をかけて石畳の上にかぶさった土砂を取り除いた場所もあったりして、その写真はキチンと押さえてマス。再び長い時間をかけて苔むしていくのだろう。

林道を見下ろせる場所まで来ると、風が吹いてきて少しマシなんだけど。「蛭降り峠百八丁」侮りがたし。当時、大勢の参詣者が疲労困憊しつつ歩いたというのも納得やね。

ゼイゼイと2人は小休止の地点、岩上峠頂上にたどり着いたのであるよ。』

・・・ というか、当時、この記事をアップしたあとから気づいたんだけれども、恐らく、カメラの撮影モードを「接写」に切り替えたまま使用し続けていたのだと思うのだ。

 だから、特に風景の写真が手ぶれしてしまっていたのだ。神経質+強迫的+几帳面なワシは、「キチンとした写真」を撮るために、いずれにしても、早晩、再び彼の地を歩く必要があると考えているのだ。

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灼熱の熊野古道・中辺路 小広峠~熊野本宮大社 in 2006 その①

・・・ ということで。

ワシの、以前のブログ復刻シリーズ・第一弾。ちょうど1年前の昨日、お世話になっている北兄ィと一緒に出かけた熊野古道・中辺路、小広峠~熊野本宮大社ルートのウォーク。

名付けて「中辺路灼熱無間地獄in2006」。『』の中が当時の文章なのだが、一部加筆修正してあるよ。まぁ、してもしなくても一緒なんだけれども。

『・・・ さて。いよいよバスの時間なのであった。ワシら2人の前途を祝福するかのように本宮大社の御神体・ヤタガラスがまさにワシの頭上に降臨なされた貴重な写真も載せておくから、見てね。

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 バスは貸切状態。大賑わいの川湯温泉・キャンプ場を車窓に見ながらバスは進むのであるが、キャンプ場を眺めながら北さん、「あんなにヒトがウジャウジャいたら、町にいるのとおんなじやんか」と。ごもっともです。

それに比べると、「どしん会」の、昨年の日高川キャンプはおいやん4人だけで川原貸切というなんとも言えん雰囲気であったことを思い出したよ。炎の看護学院専任教員さんは竹やぶで三節棍振り回すし。

 40分ほどかけて、ようやく「小広峠バス停」に到着。ワシらが下車した後も、バスはどんどん走って紀伊田辺駅まで行くのである。かなりの長距離。運転手さん、疲れるやろな。

200685_030 さあ。装備確認。お約束の出発直前の記念撮影。

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200685_021 と、今回はもうひとひねり。ついに、あの世界特許の虫除け「ユーカリング」実戦投入なのである。

  北さんは「好日山荘」でコイツを購入したという。店長の、「使ったお客さん、虫が寄って来なかったって言うてましたわ(キッパリ)」という力強い説明もあったらしい。件の店長さんの説明はいつも力強いのね。手首に巻いて使うのだが、ワシもひとつ恵んでいただく。「匂いが強烈で、イカリングの方がいい」と北さんは申しておったが、ワシはさほどでも。ただ、登りが続いて息たえだえの時は、ちょっと匂いがキツク感じられたけど。

 肝心の効き目なのだが、虫さされ一切なし。全行程で。

 休憩している時など、注意深く見ていると蚊が避けているのが分かる。

 「ユーカリング」恐るべし。ワシが発している加齢臭を蚊が嫌がっていたのではないと思うよ(というか思いたい)。』

 ・・・ ということで。前回と違い、写真を大きくアップしてあるから、これはこれで新鮮やね。

 しかし、このコースを歩いて、もうすでに1年が過ぎたのね。また、出かけてみたくなってきたよ。

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