さて。昨日、今日とお休み。とてもタイミングよく昨日は気持ちのいい秋晴れだったので、主夫機能を全開として、部屋の掃除・布団干し・シーツ洗濯・毛布準備・扇風機のクリーンアップ&片付けというセットをこなしたのだ(かみさんはお仕事)。次の段階は、ホームコタツ出陣となるのだけれど、これはしばらく先の話。
ランニングはぼちぼちで、昨日も3㎞走って今月トータル24㎞。ひと月60㎞くらいがちょうどいいみたいで。先月の100㎞は少々オーバーワークだったよう
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ということで。昨日は、野口 祐二著 「物語としてのケア ナラティヴ・アプローチの世界へ」 医学書院刊を再読。先日読んだ「ナラティヴと医療」に続く2冊目の「ナラティヴもの」だ。
「社会構成主義」=「言葉」が世界を構成・組織化し、かつ制約するという考え方がこの「ナラティヴ・アプローチ」の根幹ということなんだけど、読みながら、ワシは京極夏彦先生の一連の作品を思い出していた。明確な仕掛けではなくて、作品の中の謎はそれぞれの登場人物たちの認識→言葉によって規定され、別の言葉(主人公の「憑物落とし」)を通じてまったく別のありようを呈していくというところが。
また近々出かけようと思っているけれど、熊野古道の面白みというのも、道に込められているであろう古来からの人々の「物語」を心に感じつつ歩を進めるというところあるわけで。題名はすぐに思い出せないけど、先に読んだ本の中には「個人が関心を持つあらゆることは、一見無関係なことのように感じられても、必ず通底するエッセンスが存在するはず」といった意味のことが書かれていた。「ナラティヴ・アプローチ」~熊野古道~読書&ブログ、ということで、「物語」「言葉」の重畳さがワシにとってはおもろということなんだろうな。
これも著者が思い出せないけれど。認知症患者さんが多く入院している病棟(施設であったか)で、ややもすると患者さんに対して幼子にするように話かけたりしてしまうのだけれど、「この患者さんはこんな人生を歩んできた人だ」=一人ひとりの「物語」をスタッフが共有することで、キチンと敬意を払った接し方をするように意識が変化したというエピソードを読んだことがあるなぁ。このことも大きな意味での「ナラティヴ・アプローチ」と言えるのだろうけど。「言葉」ひとつ、「物語」の認識ひとつで状況~世界は一変するということで。
カッチリと構造化されていて、「モジュール」とか「プログラム」などを用いて患者さんにアプローチしていくSSTの対極にあるという印象の「ナラティヴ・アプローチ」。しかし、SSTでの実践を続けるスタッフ、そこに参加しているメンバーにとっても回を重ねるごとに「ナラティヴ」は生成し続けていくわけで。脈々と続く~次々と折り重なっていく状況、関係性を「言葉」で残していくことが肝要ということか。
・・・ 興味深いので、さらに学んでみることにしましょう
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