・・・ オーストラリアのものすごい火事が連日ニュースで伝えられている。かみさんの幼なじみのか~こちゃんがオーストラリアで暮らしているので、昨夜メールした。彼女一家はもちろん安寧に暮しておられるんだけれど、あちらの夏は半端ではないようだ。彼女の返事を引用してみよう(何の断りもないまま
)。
『 ・・・ 報道されている山火事は隣のビクトリア州の郊外で、私たちの南オーストラリア州では、今のところあのような大規模な山火事はおこっていません。でも、夏の山火事は今までもたくさんあり、今年は特に町中に住んでいてよかったとつくづく思いました。1月26日に帰ってきてから、連日45度の気温がつづきやっと今週になって20度代の涼しい温度になっていますが、また今週末くらいから40度に上がっていく予報が出ています。いわゆるヒートウェイブ(日本語で熱波かな?)というやつです。ここ何年かの水不足で極度に乾燥した環境のなかで風が出て、火がまじるとこんなにおそろしい状態になるのです。水の使用制限があるので家の庭もからからに乾いた状態で芝生は全滅・・・いくら水をまいても45度だと同じです。洗濯物をほすのは夜暗くなってから干して(脱色防止のため)、1時間もしないうちに乾きます。これが昼間だと、最初に干した洗濯物が全部干し終わるころには完璧に乾いてます。想像できるかなぁ~? 』
うーむ。一番最後の、「最初に干した洗濯物が云々」というくだりはスゴイ。日本みたいに湿度が高い夏ではないということもあるんだろうけれど、それにしても、「地球はどうなっていくのか?」という気持ちに否応でもさせられてしまうではないか
。
で。今日読んだ本というと、五木 寛之著「人間の覚悟」新潮新書という本。「経済が、絆が、国が壊れていく。ついに『覚悟』を決める時が来た。」という文字が腰帯にある。百年に一度の不況であるとか、混沌とした状況はさらに進行していってる、そんなさなかに読むには最適の一冊という感じがする。じつはこの本、入院している患者さんが病院の近くの本屋さんで買ってきたもので、それを「数日貸しておいて」と持ち帰ってきたという。
大井 玄著「痴呆老人はなにを見ているか」新潮新書という本を五木氏は引用しておられて、少し前に自分もこの本を読んでいたものだから少し嬉しかったりして。このくだりで五木氏は、「大井さんの書かれているように、日本でも沖縄などでは、痴呆老人は悠々と、穏やかに周囲から尊敬されながら幸せに生きている。意識が薄れるとか、記憶が曖昧になるとかいうことは決してマイナスではなく、迷惑でもない。ただ、そういうものを嫌悪するばかりできちんと扱わないから、周囲に対して反抗的になったり、トラブルをもたらすのだという考え方です/お年寄りを尊敬する社会、歳を重ねただけでも偉いのだと考え、やはり自分も長く生きることを考えた方がいい。ぼけて寝たきりで、そんな形でかろうじて生きている人間に生命の尊厳はあるのかという問いもあるでしょう/しかし、私は『ある』と考えます。その人たちをケアすることによって、自分の生も保たれると考える。仏教では『菩薩行』といいますが、人の面倒を引き受けることなしに人は生きていけないし、自分一人の面倒だけ見て生きる人生などあり得ません」と書いておられる。
この、「ケアを通じて自らの生が保たれている」という考え方は、なんともいい。燃え尽きないで仕事を全うすることが出来るかということは、自分たちみたいな職業人にとっては大いなるテーマであるだろうけど、そのことに対する大きなヒントを見つけたという印象だ(このことについて、「ワタシの仕事はその人をその人らしくキチンと死なしてあげること」などと言うかみさんの方がワシの先を行っているな)。
数日来細々とした工作ゴトをしたけれど気持が乗らず、すぐこうしたことがらに意識が向いてしまうという。歳をとったということね。ワシも。
ということで。これからウォークに出かけ、芥川賞受賞作品全文が掲載されている文芸春秋を買うとしようか。
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